dekadanのブログ

ヒエログリフよりも難解な走り書き

無意識の外側

今日も何も書くことがないなぉ。そういえば職場に山貝家が遊びに来た。子供達もずいぶん大きくなって微笑ましい感じだった。ミカさんは母親の優しさを醸し出し、はるかくんはレトロゲームをあさっていた。うんうん、幸せそうで何よりだ。色んな家族の形があるけれど、僕の家族は僕の歌に守られている。家族の歌をたくさん作って来たからね。それが過去だろうと未来だろうと自分の歌を嘘にしたくないじゃない。っていう願いも込めて。嘘でも本当になってゆくもんだ。僕が歌えば僕の中ではそれが真実になるのだよ。そういうもんだ。威張っているわけではなく歌を歌う人はみんな自分の中の真実を見ているのだと思う。自己完結だけれど。僕の歌には常に過去への憧憬と未来への望蜀が混在していると、勝手に解釈している。君に幸あれというアルバムは前半は虚構、後半は真実を意識して作った。虚構を入れることで味気ない人生の歌はドラマティックに進化する。それを無意識に入れるのがミソだね。無意識の外側には意識があって、その外側にはまた無意識があるのだろう。はぁー酔っ払った。

おやすみなさい

疲れましたね、マリア様

ブログでも書くかーと、息巻いて開いてみたけれど、何にも出てこない。そうだな、僕の幼少期の話でも書こうかな。カトリック系の保育園に通っていてさ、両親が共働きだったから夕方過ぎまでシスターとお迎えを待っていた。敷地内には小さな教会(当時は大きかった)があって、ステンドグラスが綺麗だった。お昼寝の時間になると好きな友達と布団を隣同士にして、ずっとおしゃべりしてたな。「疲れましたね、マリア様」

はじめて舞台に立った時のセリフ。僕はヨゼフ役に抜擢された。卒園の出し物での演劇。三時のおやつはよくこつぶっこが出ていた。もう今は見かけないお菓子。あんまり好きじゃなかった。門の前にクッキー屋があって、そこのクッキーが美味しかった記憶がある。カラメルを練り込んだ香ばしいクッキー。昭和の味。懐かしい。

歳を重ねたな。でもずっと忘れない思い出はたくさんある。そんなものが僕をつくっているのなら、これからも自分をつくる出来事が待っている。そう思うと先の未来が少し明るく感じるし、高揚感が湧くよね。いいも悪いもあるけれど、互いに影響し合って歩いていく。それはもう間違いない。私をつくってくれたのはあなたで、あなたを見つけたのは私だ。忘れないでおこおっと。

私たちは胃である

昨日は豚バラを煮てチャーシューを作り、蒲焼風にしてチャーシュー丼、あんかけかた焼きそばを作る。家族からも美味しいと言われて満足。最近あまりお腹が減らないからご飯を息子に食べさせてそれで満足してしまう。空腹という信号があるように、心にも空腹に似た信号がある。心が渇くと表現した方が良いのかな。全ては己の欲求を満たすために人間は動く。基本動作だ。胃は限界があるから食べ物を入れれば信号が止まる。心はどうだろう。なかなか難しいところだよね。それを綺麗な言葉で言い換えると夢だ。浅ましい心をなんとか隠しながら生きている。心の飢えにより悲しくなったり寂しくなったり、心が満たされると嬉しくなったり、楽しくなったりする。私たちは常に胃である。何かいいことないかと口を開けて空を見上げるのである。私たちはイデア

ルーベンス

毎日このブログを書けるようにしたい。でもネタは何にもない。誰か見てくれている人はいるのだろうか。ブログをやっている人のイメージは、小説とか難しくて書けないから、それっぽいことをしてみたいという気取った奴が書くものだと思っている。そして自分の本音を少し吐露して誰かに伝えたい言葉があるのだろう。コミュ力不足の僕からしてみればありがたい装置だ。SNS全般もそう。デマゴーグがのたうち回っている。昔は掲示板というものが、町のあちこちにあった。もうほとんど見かけない。あれはあれのよさがあった、ような気がする。出張続きで、どこへも行きたくない病を患っている。あんまり人とも会いたくない。仲の良い人には会いたい。歳をとると好きな人にしか会いたくない。まあ、僕の性格かもしれないが。昔HAKOで友達が作った噂という題名の歌が身に染みる。すべてがどうでもいい思えるような疲れた夜に書くブログだ。

はぁー疲れた。死ぬ間際にルーベンスの絵が見たい。

夜更けのエチュード

仕事が忙し過ぎて何にもやる気が起きない。先日の加茂のライブから脱力感が続く。好きな友達と好きな町で遊んだ記憶が僕の中で余韻となって水紋のよに日常に流れている感じ。でも何か新しいおもしろしいことしたいなぁ。過去は過去。振り返っても何も得るものはない。時間は無常に流れていく。茶柱とバンドを組んだ時も、金ちゃんと夜香都市をやっていた時も、うめちゃんと梅花団をやっていた時もそうだった。限られた時間の中で永遠をつくろうと奮闘した。いずれ終わることがわかっているものはなんて儚く、愛おしいものだろう。全て、僕の胸の中で永遠の輝きになって、今も歌い続けているよ。ほんの少しでも僕の表現に関わってくれた人達。大好きです。死ぬまでその思い出を愛したい。死んだらその思い出を愛せない。愛と死のメモリーという歌の本当の意味。この歌はうめちゃんに送った歌。気に入ってもらえて良かったと当時は思っていたな。

この前の加茂のライブではじめてサヨパニと一緒にステージで歌うことができた。とてもいい思い出。いつか、いつかさ、一緒に何か作品を作ってみたいな。恵久実さんやさとにいが好きな世界観は僕の好きな世界観に似ている。と勝手に思っている。極楽寺の音源も楽しみだなぁ。楽しそうなことが待っている。僕も仕事につぶされていられない。明日は晴れるよ。雨男だけど。

 

静かな生活

毎朝5時ぐらいに目覚めてしまう。完全におじいちゃん化してきている。スフィンクスの謎謎で朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足っていうのがあるけど、あんまり杖ついたおじいちゃん見かけないよね。杖ついたらおじいちゃんと認定されるのかしら。

今日から出張だ。静かな生活を送りたい。

日毎毎日

先週末が楽し過ぎたせいか、日常に戻ると急に気が抜けて何にもしたくなくなる。でも今日は夕飯つくらないと。麻婆カレーのリクエストもらったから原信へ。生家へ寄って自分の部屋だった場所で海を眺める。今日は曇りであんまり見えない。寒くもなく暑くもない、丁度良い気候だ。さよぱにの恵久実さんからたくさん写真をもらった。嬉しい。また遊びたいなぁ。鳥が忙しなく鳴いている。さて、どんな一日になるかな。